p17・18 9 内津の前川家<『さいお』春日井市立西尾小学校開校100周年記念ハンドブック>
多治見市に,かって「虎渓三笑」という銘柄のお酒を出していた、前川酒造という造り酒屋がありました。今もそのたたずまいをオリベストリートのなかに見ることができます。
前川酒造の方のお話では、この前川酒造をおこした人が、かって内津に住んでいたそうで、今もお墓が内津にあます。名前を前川福平さんと言います。福平さんは、瑞浪で「始録」という銘柄のお酒を造っていた母方の在所で修行をしたのだそうてす。「虎渓三笑」とは、中国の故事からとった名前ということで、出典は「盧山記」です。自分たちのいる所もわからなくなってしまうはど、夢中で話し込むことを楽しむ、といった意味だそうです。
福平さんの袒先は,前川新右衛門さんと言います。7で紹介した鵜飼源六さんの家に向かって、右側に2軒目の家だったことが、幕末の地図を見るとわかります。この方は、大変羽振りが良かったということで、蔵が11も12もあったと言い伝えられています。しかも、この前川家は飼源六さんの家とは親戚になるそうです。前川新右衛門さんは内津の庄屋で、内津茶を江戸か明治初期に尾張の特産物として、近隣諸国や江戸にまで売りに出していた五人仲間の代表者であったことが、『前川家文書「内津茶と前川新右衛門」』(源敬塾、平成 18年)に詳しく介されています。この内津茶は、『尾張志』『尾張徇行記』『尾張名所図絵』に登場し、『尾陽名物』の番付では西小結となっており、有松絞りや常滑焼きと同等あるいは上位という高い評価だったようですね。
さらに、鵜飼源六さんの家と前川新右門さんの家の間に、前川武左衛門という方の家があったことかわかります。実はこの方は『さかした』によると内津の初代郵便局長さんを務めていたことがわかっています。しかも内々神社の明治初頭の燈籠に名前が刻まれているのを確認しました。ところが、今回の調査ではこの前川武左衛門さんについてはこれ以上確かな手がかりがなく、その後の家系もよくわからなかったというのが実情です。
【『前川家文書「内津茶と前川新右衛門」』】
前川新右衛門についての興味深い話が紹介されています。
【前川武左衛門の名前の入った石碑】
内々神社の境内の妙見寺側にあります。
石碑に書かれている<文曲星>とは、
北斗七星の星の一つです。
妙見信仰の燈籠石碑ということになります。